今月の法話: 六祖壇経

[一]大梵寺説法と壇経成立の由來
 
 大師は唐の時、初めて南海のほとりより曹溪そうけいに至る。韶州しょうしゅう刺史韋璩ししいきょ等、大梵寺の講堂中に於て、衆の為に縁を開き、無相戒を授け、摩訶般若原蜜まかはんにゃはらみつの法を説かんことを願う。大師は是の日、頓教とんきょうの法を説き、直に見性を了じて無礙ならしめ、普く僧俗に告げて、言下に各々本心を悟り、現に佛道を成ぜしむ。座下の僧尼道俗一千餘人、刺史しし官僚等三十餘人、儒宗じゅそう・学士三十餘人も同じく大師に是の法を説かんことをねがう。刺史韋璩ししいきょは、門人法海ほっかいをして抄録しょうろくして流行して、後代に伝示せしむ。若し此の宗旨をけて、學道の者逓相たがいに教授せば依憑いひょうする所有らん。

意 訳
 
 六祖大師は唐の高宗こうしゅう御代みよ(650~683)に、初めて広州南海のほとりの住居から韶州曹溪しょうしゅうそうけいの宝林寺に住山せられたのである。韶州しょうしゅう刺史韋璩ししいきょ等は、大師に韶州しょうしゅうの大梵寺の講堂で人々のために佛縁を開いて、無相心地戒むそうしんちかいを授けて摩訶般若原蜜まかはんにゃはらみつの法を説いて下さるように御願いしたのである。大師はこの日頓教とんきょうの法を説いて、卽今その場で自己の本性に徹底して何物にもとどこおることなくさせるべく、広く出家や在家の人々に告げて、人々が親しく心の正体を悟って、佛道を成就せしめられたのであった。説法の座に列した僧侶や尼僧それに道人や俗人一千餘吊、刺史しし・官僚等三十餘吊、儒教の宗師と学士等三十餘吊の人々は同じく大師に説法を御願い申し上げたのである。刺史しし韋璩いきょは、門人の法海ほっかいに説法を書き取らせて後代に伝えることにしたのである。若し大師の説法の要旨をけて、学道の人々が次々と後代に伝えてゆけば、人々の依りどころになるであろう。